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毎週、スタッフの持ち回りでお届けする「編集後記」。 今週はJoより、「クアンチ省の海岸沿いを北へ」のお話です。
2024年7月、クアンチ省を訪れた際、ドンハー(Đông Hà)からバイクで海岸方面へ向かいました。クアンチはベトナム戦争と非常に関わりの深い場所です。1954年のジュネーブ協定後、ベンハイ川沿いには北緯17度線付近を通る暫定軍事境界線が設けられ、その両側に非武装地帯(DMZ)が置かれました。その後、ベトナム戦争中にはこの一帯で激しい爆撃や戦闘が繰り返されました。ただ、ドンハーから海岸へ向かう途中で最初に気になってバイクを止めたのは、戦争遺跡ではなく道路沿いに広がる大きな墓地でした。

ドンハー中心部から北東へ直線距離で約11km、現在のナムクアベト村(Nam Cửa Việt)周辺です。屋根の上に龍を載せたものや、大きな門を備えたものなど、かなり立派で色鮮やかな墓が何十基も並んでいました。墓地のすぐ前の道路脇では小魚が網いっぱいに干されていて、立派な墓と海辺の日常生活が同じ風景の中にあるのも印象に残りました。

そこからさらに海岸沿いを北へ走っていると、今度は道路脇に巨大な砲弾や爆弾の殻のようなものが何十本も並べられている場所がありました。一見すると、戦争で残った砲弾の殻などを売っている鉄くず屋のように見えます。私もそう思ってバイクを止めて写真を撮ったのですが、後から調べてみると、ここはお店ではありませんでした。

ここは現在のベンハイ村ハーロイチュン(Hà Lợi Trung)集落にある、ゴー・ズイ・ズエット(Ngô Duy Duyệt)さんの個人の戦争遺物展示場でした。ズエットさんは2000年ごろから戦争に関係する品々を集め始め、現在では爆弾や砲弾の殻のほか、水筒やヘルメット、食器など2000点以上を収集しているそうです。私が通りがかった2024年には何の予備知識もなかったので、「クアンチでは道路沿いでこんなものまで売っているのか」と思っただけでした。まさか個人が20年以上かけて集めた戦争遺物だったとは、今回改めて調べて初めて知りました。

さらに北へ向かって訪れたのが、ヴィンモック地下道(Địa đạo Vịnh Mốc)です。軍事境界線の北側に位置していたこの地域は、ベトナム戦争中に激しい爆撃を受けました。住民が地上で生活することが難しくなったため、1965年から1967年にかけて造られたのがこの地下道です。地下は3層構造で、家族が暮らす小部屋だけでなく、井戸、集会所、診療所、産室などもあり、戦争中には地下で17人の子供が生まれたとされています。実際に中を歩くと通路はかなり狭く、ここが単なる一時的な防空壕ではなく、多くの人が生活していた「地下の村」だったことがよく分かりました。

ヴィンモック地下道から地上へ戻り、さらに海岸沿いを北へ進みました。このあたりまで来ると、道路からは青い海と長く続く海岸線が見渡せます。少し前まで戦争中に人々が暮らした地下道の中を歩いていたことを考えると、そのすぐそばに穏やかな海が広がっているのが印象的でした。

そして最後に立ち寄ったのが、ムイライ灯台(Hải đăng Mũi Lay)です。ムイライ岬の北東端にある灯台で、1976年から運用されています。灯台の前からは海岸線を一望することができました。大きな墓が並ぶ海辺の集落、道路脇に置かれた大量の戦争遺物、住民が実際に暮らしていたヴィンモック地下道、そしてその先にある灯台。ドンハーから海岸へ出て北へ走った一日でしたが、クアンチの歴史と現在の暮らしの両方を見ることができました。

photo by Jo —————————— 今回は、ここまでです。 最後まで、お読みいただきましてありがとうございます。 今後とも、「ベ トナム株・経済情報」をよろしくお願いいたします。
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